大学という存在の意義

まず、第一に、僕は大学が大嫌いです。

普通に考えて、行く意味がわからなくないですか?

 

確かに、薬剤師になりたいから〇〇大学の薬学部に行く!弁護士になりたいから〇〇大学の法学部に行って法律の勉強をする!

こういう考えをしっかりと持って入学する大学というものは有意義で素晴らしいとは思う。

ですが高校を卒業した時点でそこまで将来に明確なビジョンを持てている人がどれくらいいるでしょうか?

 

「何もやりたい事がないからとりあえず大学に行く」

「やりたい事を見つける4年間」

うん、まぁわかる。

言葉としては間違ってはないとは思う

 

それなのに大学というものには専門的な分野しか学べない、とりあえず大学に進学するにしても文系では選択肢が「経営、経済、法」などしかない。入るときにそれらの物に限定してしまっては意味がないだろう、「やりたい事を見つける4年間」なのに4年間の途中でやりたい事を見つけた時には自分で勉強し直さなければならず、なおかつ興味もない専門分野までも勉強しなければならないのだ。f:id:bllizzard0508:20161026003230j:image(広がった時に今やってる無意味な専門分野切り捨てられるなら認めてやるよ)

 

 

そもそもやりたい事を見つけるのに“4年間“も必要なのだろうか?

 

やりたい事が見つからない人はずっと見つからないだろうし、そもそもやりたい事と言っても所詮は“労働“なのだから好きでやっている人はほんの数%しかいないだろう。仕事は仕事と割り切る、それもまた人生である。

 

当たり前だが4年間という月日は長い、僕は今バイトを1年半ほど続けているが新しく入ってきて半年ほどの同い年の人とは仕事のスキルという点では雲泥の差がある。

週3、4のバイトでこれなのだからほとんど毎日働くとなるともっと差がつくであろう

 

高卒で就職した人は大学を卒業した人とは“4年間“もの差があるのである。

これは言葉以上に重い、これはまた別の機会に話そうと思うが大学での4年間の中身というものは実に軽いものである(もちろん人によるが)

4年間もの時間を費やし、莫大な授業料を払い、興味のない分野を無理矢理勉強し(これももちろん人による)4年間ものディスアドバンテージを突きつけられるのだ。 

 

これだけ長々と大学の無意味さを語ってきたがそれなのに何故大学に行くのか、それは単純に日本の社会が大学に行く事を正当化しているからである。

 

大学卒業資格があればどんなに中身が無い4年間でも

高卒で4年間汗水流して働いた人よりも偉くなってしまうのだ。

 

なんと生きづらい世の中なのだろう、日本政府は早く大学の中身を知ってほしい。

 

自分がもし、結婚して子供を持つことになった時に大学という制度が変わっている事を願うばかりだ。

 

次は大学の中身について話そうと思います。

長々とありがとうございました。

 f:id:bllizzard0508:20161026003315j:image(いいから早く潰せ)